集合住宅や両親の共働きなどによって、自宅で動物と暮らすことが出来ない子供が増えている中で、学校での「飼育体験」っていうのは、ものすごく貴重な事。
学校教育の中で「動物と一緒に過ごす」という役割が、最近になって注目され始め、獣医師さんや管理士さんによる「飼育方法」が行われるようになってきたのは、本当に喜ばしいことなのである。

子供たちが成長していく中で、ボクたち動物がお手伝いできる役割は学校の中だけじゃないんだ。
ボクたち動物が、子供たちにとってどんな存在であるか?
「かわいい」
「おもしろい」
「かっこいい」
子供たちが動物に対するこういった気持ちを言葉に出せる前から、多くの研究者が「ぬいぐるみ」と「本物」を用いたさまざまな実験の中で
子供の反応は「ぬいぐるみ」より「生きた動物のほう」がより積極的になる。
という結果を出してきたんだ。
それはきっとまだ、何も知らない幼児であっても、生まれた時から「生命」に対する感受性が備わっているからだろう。
って。
だけど残念なのは、その「感受性」は子供が成長するにつれて、動物となかなか接触できな環境と「生命を軽んじる」世の中でどんどん削られていってしまうんだ。
親が【動物嫌い】だと、もう最悪だよね。
子供は親に「動物って本当に嫌な生き物」って育てられてしまえば、その子供は「動物は嫌な生き物」ってなってしまう。
「動物は汚い」と育てられてしまえば子供は「動物って、汚いんだ」って思ってしまう。
親が子供の前で簡単に動物に暴力を与えれば、その子供はそれが悪い事だと思わず動物に暴力をふるってしまう。

哀しいけれどそんな子が、ボクの近所にもいる。
児童心理学や教育学、その専門家によって研究報告されてきたさまざまな例の中で
ボクたち動物たちに触れ合ったり共同生活することは、子供たちにより多くの恩恵をもたらしていることが解ったんだ。
その中でも特に「コミュニケーション能力に動物が影響を与えている」という趣旨の研究報告が、多く見受けられているんだ。
たとえば幼いころから「ペット」と呼ばれるボクたち「愛玩動物」と生活をともにしている子供の方が、そうではない子供たちに比べると
人間同士の「非言語的」コミュニケーション能力にたけている。
という報告があるんだって。
「非言語的」コミュニケーション。
それはつまり言葉ではなく、言葉以外の手段で「手振り、身振り、表情、姿勢」などによる意思伝達のこと。
言う間でもなくボクたち動物は、人間の言葉を理解していたとしても「人間の言葉を話す」ことは出来ないから、
ボクたち動物と一緒に暮らしている人間は、「言葉」以外の方法でボクたちと会話しなきゃいけないんだ。

おかーちゃんはしょっちゅう、ボクたちに話しかけては、勝手に自分で「お返事」作って、独り言のように喋ってるけど。

でも、そのお返事。あたしたちの気持ちとそんなに間違ってないから、ま、いいんじゃない?
ボクたち動物と一緒に過ごしていると、ボクたちが何も言わなくてもだいたいの気持ちは察してくれる。
ちょっとしたしぐさで、具合が悪いのかどうか。
それは子供のころから、ボクたち動物と過ごす時間が長かったからこそ、
ボクたちの様子の変化を見ていくことで、ボクたちの気持ちが解っていくようになるんだ。
でも実はそれだけじゃなくて、自分たちの同類である「人間」に対しても、言葉を超えた理解力を身につけていくことができるんだ。
ボクたち動物たちと「ふれあう」時のように、ほかの人間を見ることが出来るようになれば同じように、目の前の相手の身振りや表情を無意識に解釈できるようになる。
身振り、表情だけで
怒っているのか
怒らせてしまったのか
悲しんでいるのか
悲しませてしまったのか
嫌がっているのか
その気持ちを感じ取れるようになれば、次に起こさなければならない「行動」が、その人が言葉に出さなくても解るようになる。
ボクたち動物が困ったときや何かに驚いたとき、どのような行動をとればいいのか観察しながら、その姿を自分と重ね「その行動が好ましいのか?」「間違っているのか?」
子供のころからボクたちと過ごすことで、感受性豊かな子供に育っていく。
ボクたち動物は、そのための大きな役割になってお手伝いしている。
それからね。
ボクたち動物が横にいると、不思議と人間同士が円滑に交流することができるから
多くの研究者たちは動物を「社会的潤滑油」って、呼んでいるらしい。
「動物嫌い」の人にとっては円滑になるどころか、ボクたちの存在は邪魔でしかないみたいだけど。

でも、これは仕方ないことだよね。
それでもボクがお外でお散歩していると、普段は見かけないヒトがボクの姿を見かけて、ちょこっと声をかけてくるから、おかーちゃんはそのままその人と世間話をしたり

(ボクはそのたび逃げるけど)
どこかの子供も時々ボクの姿を見ると、嬉しそうに走ってきては、おかーちゃんに声をかけて来たりする。
でも、おかーちゃんは子供に慣れてないから、子供に声をかけられると、どうしていいのか解らないようで、ちょっぴり困っているみたいだけれど。
それでも、頑張ってちゃんとお話し相手になってあげてる。

(おかーちゃんより、その子供の方が賢かったりするから、おかーちゃんタジタジ)
つまりボクたちって、社会の潤滑油であると同時に、「子供の社会性の発達」にも役立っているんだって。
あとね。ボクたちのお世話を手伝うことは、子供たちの「責任感」というものを養うことになるほかに、ボクたちのお世話をすることで、もうひとつ。
「犬のお散歩」という大きな動きから、ハムスターなど、小さな動物を傷つけないように、優しくそっと包み込むように抱き上げるという動き。
お世話をするときのさまざまな動作が、子供たちの身体的能力の向上に役立つんだって。
つまりボクたち動物と遊び、ボクたちのお世話をすることで、その動物にあった環境に合わせて適切な動きができるように育っていくということ。
という結果報告もあるくらい。
子供が動物との接点を失わないようにすること。
それはその子供が感受性豊かに育つためだけではなく、これからの社会全体をより住みやすくするために必要なこと。
ヒトと動物の最初の「ふれあい」の関係で、動物が人間にとって「ストレスをもたらす存在」にならないようにすること。
動物たちとの接点を子供に与え、その関係を維持していくためには、ただ単に、「ボクたちとの暮らし方」「ボクたちとのお付き合いの仕方」といった「動物の適正飼養」の技術的情報の発信だけでなく、

動物と触れあうことは、子供たちの将来にどんな大切な影響を与えることができるだろうか?
そういった総合的な情報を発信していかなければならないんだ。
(参考文献:愛玩動物飼養管理士テキスト2級-1)
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