1964年のイギリス。
「ルース・ハリソン」が【アニマル・マシーン】という本を書き、近代畜産への鋭い批判と警鐘を促すとイギリス国内では激しい議論が巻き起こったんだ。
それはね、農場動物の悲惨な実情を描いたもの。

ウシやブタ、ニワトリが
どんな目にあっているか、知っている?
きっと、こんなほほえましい光景を思い浮かべると想うけれど
でもそれはアニメや、カレンダーやポスターなどの写真の中で描かれた【イメージ】でしかなくて、本当は、
本当はね。
第二次世界大戦が終わった1955年の頃から近代畜産農業がイギリスとアメリカから始まった
って言われている「農場」っていうやつは

「農場」なんかではなく「工場」なのっ!!
日も当たらず、わずかな空間にウシやブタ、ニワトリを詰め込めるだけ詰め込むから、彼らは手足を伸ばすこともできない状態で、それでもなんとか生きている・・・
生きているというより「呼吸しているだけ」
食肉専用に育てられるブロイラー用の若いニワトリは、ヒヨコのときに何千羽という数で窓もない鶏舎にぎゅぅぎゅぅ、ぎっしりと詰め込まれるんだ。
窓がないから、夏は炎熱地獄。
ほこりっぽいし、じめじめ、むしむしとしていて、すごく臭くなるんだ。
そんな環境だから病気になって、しばしば大量のニワトリが死んじゃうから、抗生物質やら薬剤がエサの中に混ぜられる。
ウシは、生まれてすぐに母ウシから引き離されると真っ暗な畜舎に放り込まれ、すぐに身動きができにように首を鎖でしばりつけられちゃうから、真っ暗な畜舎で身動きも取れず、横になって寝ることもできず、あげくは床には自分たちの糞尿だらけ。
しかも、それは片づけられることがない。
と殺されるために外に連れ出される、この一日だけお日様の光を浴びることができるんだ。
しかも、ほんの数時間だけ。
まぶしい太陽の下に出た数時間後には、その命はもうこの地球上にはない。
乳牛だって生産性がなくなれば、殺されちゃう。
動物たちはつねに「優良」と「劣悪」に仕分けされ「劣悪」とされたらすぐに殺されてしまう。
安いコストで人間の手間や面倒をかけず、より多くの卵、乳、お肉を提供できるのが「優良」
そうでないものは「劣悪」
たとえば昨日まで「優良」とされていた乳牛が、今日、要求されているだけの量のお乳が出せなくなった時、すぐに「劣悪」のラベルを貼られ、と殺場行きになっちゃうんだ。
スーパーで並ぶお肉。一体、どれだけのウシが殺されてるんだろうね。

それがちゃんと
人間のお腹の中に入ればいいけれど・・・ね。
ルース・ハリソンの【アニマル・マシーン】は
工業的畜産って、何?
集約的飼育って、わかる?
そんな問いかけを序章とした、イギリスにおける「ブロイラー用のニワトリ」の問題から近代畜産を告発した最初の書籍。
日本でもこの「アニマル・マシーン」の書籍が、1979年に日本語に訳されて出版されたんだけれど
もう長い間「絶版」していてこの本の存在を知る人は、ほとんどいない。
一度、読んでみたいな。(具合が悪くなるかもだけど)
こんなことが書いてあるんだって。
『アニマルマシーン』(近代畜産にみる悲劇の主役たち)
私が本書のなかで論じているのは、家畜動物の取り扱いをどうするかの問題だけではない。
むしろ私がほんとうに関心をもって論じたのは、私たち自身の生活の質が落ちてきており、
これにどう対処すべきか、という点であった。農場の動物を生まれてから屠殺するまで永久に閉じ込めて収容するシステムが、この三十年ばかりの間に着実に成長し、その地歩を築いてきた。
(中略)
これらのシステムのうちでも極端な方になると、数限りない動物をぎっしりと詰め込むので、
彼らは手足を伸ばすこともままならず、やっと生きているといった始末である。彼らは目のあらい格子床の上に立っているのだが、その下ではいつも自分たちの糞尿が頑張っていて、どいてくれない。
そしてお日様を拝むのは、屠殺のため外に連れ出される時一回だけ。ということもしばしばある。
(中略)
農業はやはり、生命のない物体を扱うのではなくて、生きとし生けるものとその生物学的生活過程を扱うのである。
食糧の供給という点で私たちは、現在も農業に依存しているし、将来も依存するのだから、未来の子孫から農業を奪うようなことはできない。
だから連綿と続く生命の継承を考慮に入れないような処置をとってはならない。
私たちの生命が食物の絶えざる供給に依存していることは当然であるが、もっと正確にいえば、健康によい食物の絶えざる供給に依存しているのである。
したがって、
土壌、植物、動物、そして最後に人間、また土壌・・・とめぐる生命のサイクルのおのおのの環において、この健康が維持されていること、これが健康ということに違いない。
(中略)
最後に一言。
本書は動物の受難を扱っている。
視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。
人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか、と。
1977年12月 ルース・ハリソン
ルース・ハリソン自信は「動物の権利」については
人間の権利もないがしろにされている状況で、動物の権利を主張することに賛同しがたい。
という意見を持っているんだ。
ただし、人びとの良識と責任において、正しく動物を取り扱うこと。
動物の持つ習慣、生活様式を尊重することが、最低限必要であろう。
と。
復刻しないかな。
【アニマル・マシーン】が出版されて、わずか6週間後。
工場産業の下にある家畜・・・

もう「家畜」って、呼べないよね?だって、そこは「お家」じゃぁないもの。
産業動物の福祉増進を目的とする実態調査を行う「ブランベル委員会」が、イギリス政府の委嘱によって設立
委員会の報告は翌年には公開され、その中で、今日の家畜飼育の基本となる次の理念が勧告。
家畜には少なくとも動作における5つの自由が保障されるべきである。
その自由とは、楽に向きを変えることができ、自分で毛並みをそろえることができ、
起き上がり、横たわり、四肢を伸ばすことができる自由である
現在では新しい5つの自由として唱えられているんだ。それは
○ 不快からの自由
○ 苦痛からの自由
○ 恐怖・抑圧からの自由
○ 自由な行動をとる自由

ここ、テストでまーす!
ルース・ハリソンも
食糧の供給という点で私たちは現在も農業に依存しているし、将来も依存するのだから、未来の子孫から農業を奪うようなことはできない
そう言っているように【畜産業】を完全否定しているわけではないんだ。
今の畜産業はかつてほどヒドくないはずだけど(そう信じたい)それでも今もなお、利益のためには
殺さなくてもいい命まで殺し、結局は消費しきれず、余ったものはいとも簡単に廃棄する。
あるいは、「病気になったから」と、簡単に殺処分する。
他の動物に伝染しないように。
それは「仕方がない事」なのかもしれないけれど
今一度
動物の立場になって思いやりをもつことが求められていると思う。
人間が、「クマに襲われたー!」とか。他の動物に殺されちゃったりすると、ニュースで「あーだこーだ」と騒わぎ、「農作物が荒らされたー!」って言うとシカやイノシシを殺したり。
騒ぐ前に人間が一番、他の動物を殺しているんだ。っていうこと、気づいてほしい。
他の生き物の「命」をこんなにも犠牲にして生きている イキモノ って人間くらい、だよね。
だからせめて
食べられちゃう動物への【5つの自由】だけは大事にしてほしい。
そう願うんだ。
参考文献:愛玩動物飼養管理士テキスト2級-1
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