動物愛護運動の伝播-アメリカ編-
1866年。
イギリスの動物虐待防止運動にならい、アメリカのニューヨークではヘンリー・バーグが
アメリカ動物虐待防止協会を設立。
意図的に上流階級の人々へ、その必要性を訴えて動物虐待防止法を成立。
当時のニューヨークは汚い町で、馬車を引く「ウマ」は酷使されていたの。
最初に動物虐待防止法が適用されて罰せられたのは、積み荷が重く過ぎて動けなくなったウマのお腹の下で「たき火」をした馬方(ウマ引き)。
やがて、動物虐待防止法がうまく効果をあげるようになると
「子供の虐待も取り上げてほしい!!」
そうヘンリー・バーグに頼んだ人がいて、頼まれたヘンリー・バーグはあれこれ働きかけ
子供の虐待を防止する法案を議会で通過させたんだ。
ということもあって、
今アメリカでは子供の虐待防止は、動物の虐待防止と並んで行われているの。
動物愛護運動の電波-日本編-
1902年(明治35年)の東京。
キリスト教の牧師「広井辰太郎」が東京の街を行く「牛馬」が残酷に扱われているのを見て心を痛め動物虐待防止会を設立。
それが日本での動物愛護運動の始まり。
広井辰太郎は
動物虐待は、日本人の品性や徳義の卑しさを反映した行為で、人々が動物をいじめるようでは、日本は文明国にはなれない!
そう考えて、道路に牛馬が水を飲めるように「給水槽」を作ったり、「あはれみ」っていう機関紙を発行して、動物愛護の精神の普及に取り組んだの。
人間による虐待から動物を救済することと同時に、日本人の憐みの心を養うことを目的としていたの。

これは80年前にイギリスで苦労して動物虐待防止を立法化した
「リチャード・マーチン」と同じ考え。
文明人として憐みの心の大切さを説き、「動物虐待防止協会」という名前や設立の趣旨などからもロンドンの動物虐待防止運動の影響を受けているんだ。
その後、1908年(明治41年)には「動物愛護会」に名前を変更。
1915年(大正4年)になると、新渡戸万里(新渡戸稲造夫人)やバーネット大佐(アメリカ大使館付武官)夫人が「日本人道会」を設立。

新渡戸万里さんはアメリカ人で、
本名はマリー・エルキントンさんって言うんだけれど、ね。
その対象は、ウシやウマの使役動物だけだったんだけれど、その理由は
○日本にはもともと、イギリスのような酷い虐待がなかったことと○この運動が、一部の上流階級のヒトのものであったこと。
また、戦争が起こったこともあったりして動物の愛護の運動は一般の人々の関心が高まることはなく、いつしか すぅー。と衰退しちゃった。
第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)
日本での動物愛護運動は、ガスコイン駐日イギリス大使夫人などによって「社団法人:日本動物愛護協会」が設立されたことで始まったんだ。(後に、財団法人:日本動物愛護協会に変更)
ねぇ、気づいた?
最初は広井辰太郎が動物愛護運動を始めたけれどその後は、日本での「動物愛護運動」なのに

愛護会を作った人の中に日本人が入っていないんだよ。
それだけ、日本人にはあまり関心のないことだったんだ、ね。
その後
社団法人:日本動物福祉協会
公益社団法人:日本愛玩動物協会
社団法人:日本動物保護管理協会
が次々と設立。
現在では多くの動物愛護団体が互いに協力して、動物愛護運動を進めているんだ。
参考文献:愛玩動物飼養管理士テキスト2級-1
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