20世紀。
アルベルト・シュバイツアーの出現により、これまでの「西洋的思想」はその枠を超えて
「東洋的な慈悲の心」に近づいたんだ。
アルベルト・シュヴァイツアー【生命への畏敬】
1875年。
ドイツ帝国(現在のフランス・アルザス、オー=ラン県)で「牧師」の子として生誕し
20世紀のヒューマニストとして知られている人物
「アルベルト・シュヴァイツアー」は、
医師であり、神学者であり、哲学者・オルガニスト・音楽学者で博学者。
ストラスブール大学の講師の職をなげうち、
1913年にフランス領「コンゴ」に病院を建てると
その生涯を終えるまで現地の人々の医療と伝道に携わっていたんだって。
1952年にノーベル平和賞を受賞した彼は、
シュヴァイツアーの未完の著である【文化哲学】の第二部、
「文化と倫理」のなかで「生命と畏敬の理念」を説き、
第三部、第四部でさらに詳しく論されるはずだったんだけれど・・・
1965年に死去してしまい、未完となってしまったんだ。
ノーベル平和賞の授賞理由
シュヴァイツアーは、1952年に「ノーベル平和賞」を受賞した時、
その理由を
「生命への畏敬の理念を、現代人類の思想の中に導き入れたことにある」
そう考えたらしい。
文化の核心は倫理であり、
倫理は文化と言う船の舵である。人間は、助けうるすべての生命を助けたいという内的要求に従い、
生命あるものに害を加えることを恐れる時にのみ、真に倫理的である。どの生命も、
それがどれほど貴い関心に値するか、
また、感受能力があるかどうかを問わない。生命そのものが神聖なのだ。
倫理とは、
全ての生きとし生けるものへ
無限に拡大された責任である。出典:愛玩動物飼養管理士教材2級第1巻
動物を愛してくれたシュヴァイツアー
病院はいつしか、野生動物の「動物園」になっていて
シュヴァイツアーは動物たちを子供のように可愛がっていたんだって。
机に向かうシュヴァイツアーに、頭を撫でてもらおうと待っている「カモシカ」をはじめ
猿
コウノトリ
ペリカン
3頭のヤギ
ゴリラ
ヤマアラシ
白フクロウ。
チンパンジーとイノシシ
シュヴァイツアーのお部屋は、動物たちでいっぱいだったんだよ。
でもね。
人間が生きるためには、いつかどうしても
他の生き物の生命を奪わなくてはならないときがあるでしょ・・・。
そのとき、どうするの?っていうその問いにシュヴァイツアーは
私が何かの命を「殺傷」する場合、
それがやむを得ないかどうかをはっきりと知っていなければならない。動物に手術をしたり、
薬物を与え、また病毒を接種することで得た結果によって人間を助けようとする人々は、その動物に施す「残虐」な行為が、
「これは、価値ある目的を追求しているのだからいいのだ」と言い聞かせてはいけない。人類のためにかかる「犠牲」のひとつを動物に課するという必然性が果たしてあるかどうかを、
個々のケースについて考慮しなければならないのだ。また、できる限り苦痛を軽減するように細かく心遣いをせねばならぬ。
動物を実験動物として利用し、
病気の人間にとって貴重な結果を、動物に与えた「苦痛」によって得られたのであれば、
このことによって、動物と、我々の間には新しい「独自の連帯関係」が作り出されたことになる。その時から
すべての生命に対して可能な限りの善をなすべきである。という責務が我々には生じるのだ。いま、実に多くの生命に「虐待」が加えられている。
と場では、実に酷い野蛮が行われている。このようなすべてのことに対し、我々には皆、責任があるのだ。
出典:愛玩動物飼養管理士教材2級第1巻
シュヴァイツアーは病院を設立して以来、自分が責任を持つ区域内では
いかなる動物も殺してはいけない。
そう、命じていたんだ。
そして傷ついたり、
孤児になったりした動物を病院へ連れてきた者には贈り物で表彰していたんだって。
すごいヒトだね
シュバイツアーの「生きとし生けるものへの倫理」の拡大
生命への畏敬の理念はいままでの西洋的な思想をはるかに超えたものだったんだ。
ボク。
声を大きくして言いたい。
シュヴァイツアーさん 好きだーーーっ!
この名前。
絶対 覚えておこう。
かつては、
ヨーロッパの中で最も動物に対して残酷な国だと言われてきたイギリス。
でも実は、「動物愛護運動」をまっさきに始めたのもイギリスだったんだ。