おかーちゃんは、ボクがどんなに悪いことをしても、怒ることはない。
おかーちゃんの大事にしていたものを傷つけても、壊しても
「出しっぱなしにしていた、おかーちゃんが悪い」と、笑って許してくれた。
テレビの画面の前に座って邪魔しても
パソコンのキーボードの上を歩いて、わけのわからない文字を入力しても、その上で寝ちゃっても、
マウスの上に思いっきりケポしても
壁をガリガリして、ボロボロにしても
障子に爪をたてて、ビリ~と破いても
ケポして、お布団を汚しても、
おトイレの砂を、思いっきり床にばらまいても
あとは、なんだろ・・・。
とにかく
何をしても、おかーちゃんが怒ることはなかった。
壁をガリガリするボクをジぃちゃんが怒った時、おかーちゃんは
「死んだら家なんて持ってあの世に行けないんだから、傷のひとつやふたつで怒るなや!」
と、ジぃちゃんのほうを怒っていた。
・・・傷。
ひとつやふたつじゃぁ、ないけど。
たった一度だけ
ばぁちゃんが、「お前は子育てに向いてないわ」とこぼすくらい、おかーちゃんはボクを怒ることはない。
それは、13年経った今もだ。
ボクは、おかーちゃんを心配させることはいっぱいしたけれど、怒られた記憶がほとんどない。
でも、たった一度だけ。
本当にたった一度。
ボクはおかーちゃんを怒らせて、大喧嘩をしたことがある。
ボクのほうは、喧嘩なんてするつもりはなかったけれど
おかーちゃんが一方的に激怒して、ボクはどうしていいかわからなかった。
それは、ボクがこの家に来たばかりの頃だった。
ボクがこの家に来た時から、
朝から夕方まで、おかーちゃんは「お仕事」というところに出かけて家に居ないことが多かったから、お昼寝は、ばぁちゃんとしていたけれど、
夜は必ず、おかーちゃんと一緒に寝ることにしていた。
ボクもちょっぴり大きくなって
階段もひとりで上り下りできるようになっていた頃だった。
その日の夜は、おかーちゃんのお部屋でなぜだか寝る気にはなれず、ボクは部屋を出てリビングのソファの上で寝てしまった。
どうして、おかーちゃんと一緒に寝なかったのか・・・
もぅ遠い昔のことで、あまりよく覚えていないけれど。
次の日の朝。
お腹が減っていたボクは、ばぁちゃんからご飯をもらっていると、ものすごく不機嫌そうな表情で、おかーちゃんが起きてきた。
「にゃぁ(おはよー)♪」
ボクがおかーちゃんに、朝のご挨拶をすると、
おかーちゃんは、
「もうお前なんか、おかーちゃんの仔じゃないし!」
怒りながら言ったのだ。
その言葉にボクはビックリしてしまった。
おかーちゃんがなんで怒っているのか、わからなかった。
ボクは慌てて、おかーちゃんの足元にすりよってみたけれど、スッとその足を避けられてしまった。
「・・・ぉかーちゃん?」
そのあとも、おかーちゃんはボクに一言も話しかけてはくれなかった。
ばぁちゃんが、「トイレ、汚れているから掃除してあげなさい」そう言っても、
「宇宙-sora-は私の仔じゃないし」と、言って掃除をしようとしないから
「だったら二度と宇宙-sora-に触るなっ!」
ばぁちゃんに怒鳴られていた。
おかーちゃんが不機嫌だった理由は、
ボクが一緒に寝なかったからだった。
たった、それだけのことだったけれど、
おかーちゃんの激怒ぶりは半端なかった。
おかーちゃんは、ボクが寝るはずのベッドが空っぽになっているのを見て、なっちゃんが帰って来なくなった夜のことを思い出してしまったらしい。
だったら、迎えに来てくれればいいのに、さ。
ボクが、ばぁちゃんと一緒に寝て居ると思って我慢していたらしい。
おかーちゃんは、ボクがお部屋に戻って来るのを一晩中待っていて、あまり寝てなかったのだ。
その日の朝、おかーちゃんはとうとう、ボクに一言も話しかけることなく出かけて行ったけれど、
お仕事から戻るころには、おかーちゃんの機嫌は直っていた。
その日の夜からボクはなるべく、おかーちゃんと一緒に寝るようにしたけれど、
おかーちゃんはボクの寝るところに、お布団をもってついて来るようになった。
さすがに、敷布団をもってボクの行くところをついて歩くのは大変だったので、掛布団と枕だけ持って。
ボクが寝場所を決めると、おかーちゃんは掛布団にくるまった。
ボクが寝場所を変えると、おかーちゃんはまた、掛布団をもってついて来た。
そんなことが数か月くらい続いて、
ある日、おかーちゃんは風邪をひいてしまって、またバぁちゃんに怒られていた。
ヒムロキョースケ
ところが、だ。
その年の夏ごろのことだった。
おかーちゃんが帰ってこない日が、何回かあった。
ばぁちゃんが言うには「ヒムロキョースケ」というやつを追いかけて、あっちこっち行っていたらしい。
ボクが一緒に寝なかった日、あれだけ怒っていたくせに!
・・・勝手な奴だ。
グレてやる・・・。
でも、おかーちゃんが帰ってこない夜は、必ず電話があった。
ボクは、ばぁちゃんがボクの耳にあててくれる受話器越しに、おかーちゃんの声を聞いてから、ばぁちゃんと寝た。
「おかーちゃん、はやく帰ってこないかなー」
おかーちゃんが帰ってこない夜が、何年かに数回あった。
おかーちゃんが帰ってこない夜は決まって、「ヒムロキョースケ」を追いかけているときだった。
あとは仕事に行く以外、
おかーちゃんが家を長時間あけることは、なかった。
あれは、いつの年だっただろう。
それは、とても寒い冬の夜だった。ということだけ、覚えている。
おかーちゃんのいない部屋で、ばぁちゃんが点けてくれたハロゲンの前でウトウト寝ていると、
玄関が開く音がして、ボクは目を覚ました。
そのまま、階段を上がってくる足音がギシギシ聞こえる。
「おかーちゃん?」
足音は、おかーちゃんのものだった。
が、部屋のドアが開き、
上から下まで黒づくめの見知らぬ奴が「ぬぅん!」っと入ってきたもんだから、
ボクは驚いて思いっきり飛び上がり、威嚇した。
「ふしゃーーーっ!!(だ・・・っ、だれだっ?!)」
「そっ、そーちゃん、おかーちゃんだよっ。ただいまっ」
おかーちゃんは、
「ヒムロキョースケ」に会いに行くとき、いつもとは違う派手な格好になる。
お泊りしない日のお出かけの時は、ボクも何度か見たことがある。
でも、お泊りする日のお出かけは
家に帰ってくる時、いつもの「おかーちゃん」の恰好だった。
ハロゲンだけが点く、薄暗い部屋の中でウトウトしていたボクは、
まさか、おかーちゃんがあの派手な格好のまま、
しかも、あーんな遅い時間に帰ってくると思っていなかったので、
不審者と間違えてしまった。
だってその日の夜、おかーちゃんは
「センダイ」というところにいて「ヤコウバス」というものに乗って、明け方に帰ってくる予定だったのだ。
お出かけする前、そう言って出かけて行ったのだ。
でも、おかーちゃんは、ボクに少しでも早く会いたくて、「シンカンセン」というものに乗って帰ってきたらしい。
「センダイ」から「ニイガタ」には、「シンカンセン」は通ってない。
だから、おかーちゃんは一回、「オオミヤ」まで行って、そこから「ニイガタ」まで帰ってきたらしい。
しかも、終電ギリギリで。
・・・結構、バカなおかーちゃんだ。